アディダス

世界で活躍するトップアスリートが愛用するアディダスのシューズは、スポーツ愛好家だけではなくファッションアイテムとしても絶大な人気を誇っています。
世界的なスポーツカンパニーとして成長するアディダスは年間売上高が119億9000万ユーロ、従業員は42、540人の大企業です。
ですが、アディダスがドイツ生まれのブランドだということはあまり知られていません。

アディダスの歴史

1920年にドイツのニュルンベルクに靴職人の息子として生まれたアドルフ・ダスラーとルドルフ・ダスラーの兄弟が共同で資金を出し、靴製造の会社「ダスラー兄弟商会」を設立しました。
競技用のスパイクを提供したことで事業は波に乗り、ピーク時には年間20万足の靴を販売するまでに至ります。
しかし、1948年に兄弟の意見が対立したことで分裂することに。弟のアドルフ・ダスラーは自身の愛称である「アディー」と苗字の「ダスラー」をとって、会社名を「アディダス」というシューズブランドを発足します。
兄のルドルフ・ダスラーはプーマを設立しますが、この2人の確執は町全体を巻き込むほど深刻なものでした。
町の人がお互いの靴を見てからでないと会話ができないほどです。なお、現在では両社とも買収されダスラー家とのつながりはなくなっています。

アディダスの躍進

1952年ヘルシンキオリンピックで西ドイツの選手全員がアディダスのシューズを履いて以来、圧倒的な支持と人気を集めることになりました。
1965年には今や街履きスニーカーの代名詞ともいえるハイレット(のちのスタンスミス)を発表し、人気を博します。
1970年にはバスケットボールシューズのスーパースターや、クロスカントリー用のカントリーなど多くの名作を発表しました。
1972年、ハイレットを履いたテニスプレイヤーのスタンスミスがウィンブルドンを制覇したことがきっかけで、スタンスミスの顔をプリントしたスタンスミスシリーズがスタートします。

世界で一番売れたスニーカー・スタンスミス

通気孔のあるレザー製テニス用スニーカーとして誕生したスタンスミス。世界中で支持を受け1991年当時2,200万足も売上げ、ギネスブックにも認定されました。

今でも一線で活躍するスーパースター

バスケットボールシューズとして登場したスーパースター。これを履いたNBAプレイヤーのアブドゥル・ジャバーの感想はというと「まるで足に3本線がプリントされたみたい」でした。
素晴らしい履き心地であることがわかります。80年代になるとファッションアイテムとして確固たる地位を築き、今日に至ります。


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